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心と体

2010年12月15日 (水)

生きる事の意味

生きる事に意味があるのか?
生まれてきたことに何か理由があるのか?

仕事ついでに立ち寄った大洗海岸

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2010年9月19日 (日)

目前に広がる色鮮やかな世界が脳が作り出す幻想ならば、この世界の実体とは何なのだろうか。

2009年12月25日 (金)

あちら側の世界

物質が存在しない真空には空間が存在する。
物質が存在する部分にも空間が存在する。
この空間こそが光や電波、重力を媒介するものであり、人間には認知出来ないがあちら側の世界を伝わって伝搬し粒として実態化するのである。

2009年12月14日 (月)

孤独な私

私は孤独だ。
外界の情報、知覚はすべて自動人形から伝えられるものばかり。
しかも自動人形からの情報は真実なのかわからない。
なにもかもが自動人形の検閲下にあるのだ。

2009年12月13日 (日)

自我と自意識

鏡に写る我を見て自分が存在すると錯覚するのである。

2009年12月12日 (土)

重力

質量があるものには重力が発生する。
わたくし的理論では重力の正体は時間、私はこれを証明できればノーベル賞が貰えるかもしれない?
未来は予め存在せずあるのは今と過ぎ去った今(過去)だけである。
質量があるものはその質量の分だけ今が過ぎ去るのにエネルギーかかるにで、今がすぎさるのが遅い。
という妄想的理論です。

2009年11月17日 (火)

意識と無意識は実在するのか。

心理学に意識や無意識、深層心理などの言葉があります。心の動きを説明するのには都合が良いかと思いますが果たして実際にそのようなものが存在するのだろうか。

私の考える人間の制御系である脳では、無意識にあたるものは自動人形であり、人間の行動はすべて自動人形により行われ、その行動結果が意識にあたる部位に報告されると考えます。この報告される部位は短期記憶で、処理結果は短期記憶に出力されると考えています。

なおかつ短期記憶から絶えずフィードバックが行われ自動人形との間にクオリアが発生するのではないか。

決して意識が最上層ではなく、自動人形(無意識)が最上層であり意識的に考えて行動したつもりでも、自動人形が行った行為を自発的に行ったと錯覚している。

人間は(その他の高等な生物も含め)極論すれば意識がなくとも行動できるのです。(哲学的ゾンビという存在でも生きていける)

私が自動人形という言葉に拘る理由はこの神秘的な臓器である脳は基本的にニューロンが束になったワイヤードロジックであると考えているからです。

仏教の世界に八識という考えがありますが、マナ識、阿頼耶識が私の考えでは自動人形ということになります。マナ識=本能的処理をする自動人形。阿頼耶識=その他の自動人形。

確かに概念的に意識や無意識というものは存在するかと思いますが、脳の生理的な仕組みは以外に単純なものでは無いかと私は思います。

2009年8月31日 (月)

脳の中のバーチャルワールド2 自動人形

「脳の中のバーチャルワールド」で取り上げた自動人形についてもう少し詳しく解説してみたいと思います。
自動人形は少なくとも2種類あります。
1つは生まれながらにして持っている自動人形。
もう1つは学習可能な自動人形です。

前者は再構成できない自動人形。
心臓を動かすモジュールは胎児の時から備わっており、後から学習により得られるものではありません。
このように生命を維持するために自立的に動作する自動人形も存在します。

後者は再構成可能なプログラマブルな自動人形。
自動人形=各処理をこなすモジュールであると言いましたが、このモジュールは大体の用途は決められているとしても生まれながらにして構成されている訳ではないように思えます。
生まれたばかりの赤ん坊は言葉をまだ学習していないので言葉はしゃべれる事ができません。
しかし、言葉を処理する脳の部位は大体決まっており、人間なら誰しも同じ部位が言葉を処理するために使われるようです。
言葉を発する為に必要な部位の自動人形が繰り返し学習することにより言葉を理解ししゃべれるようになります。

同様に手足を動かす(制御する)部位も大体決まっています。
反射的に母乳を吸うという事はできても、乳児は食事をうまく口へ運ぶこともできません。
あちらこちらへ落としたり口の周りを汚したりします。
フォークやスプーン、箸を上手に使うこともできません。
普段何気なく無意識に行っている作業、食事をする際に、食べ物を箸を使って口へ持っていくという作業ですら、自動人形が行っているのです。

各部位を担当する自動人形は繰り返しの学習によりプログラミングされ、私たちは殆ど意識することなく様々な作業をこなすことができるようになるのです。

またこれらの自動人形は記憶と密接にかかわっております。
乳幼児が上手く食事を取れず、身の回りを汚したとしても過剰に叱ってはいけません。
食べ物を摂取する=叱られる=嫌な感覚=ストレスとして脳に記録されます。
自然と学習し上手く手を制御できるようになるのを待つのが得策と言えます。
話がそれましたが脳および心はさほど神秘的な作りでは無く自動人形の反射的な動作によって得られているのです。

2009年8月21日 (金)

脳の中のバーチャルワールド

何かを見るという事をしている時、目の網膜に写ったのもを見ている気がしますが、我々の意識は脳の中の自動人形によって細分化し意味づけられた結果の出力を見ているに過ぎない。
耳も同様である。鼓膜で捕らえた空気の振動を脳の中の自動人形が振動波形をパターンマッチングし言葉に変換し意味づけられた結果の出力を聞いているに過ぎない。
このように脳の中にいる私の意識は常に自動人形による処理結果を知らされているだけなのである。
私の言う自動人形とは別に人型をした人形では無く、各処理をこなすモジュール、脳神経細胞の集まりである。
私自身、脳科学の学者でも何でもないので上記の仮説は想像上のものであるが、脳の動きを説明するには丁度いい仮説である。
(すでに別の人、脳科学者が同様の説を唱えているかもしれないが)
よく常人は脳の機能の数パーセントしか使用していない。
なんて言うが私はその意見には懐疑心を持っている。
意識をつかさどる部分としては限定的であると思うが、脳の中には無数の自動人形がおり淡々と処理をこなしているのだ。
目と耳だけでも処理する情報は膨大にあり、人間には入出力だけでも体中にセンサーがあるのだ。
また記憶を行う部分もありコンピュータのようにそれぞれの役割を持った脳神経細胞が淡々と処理をしているのである。
またそれらのベース。
人間に限って言えば言語(自然言語)があるが、器(脳)は同じでも言語によって脳の構成は違う可能性がある。
私たち日本人は日本語ベースの脳で日本語ベースの自動人形。
英語圏では英語ベースの脳で英語ベースの自動人形。
まるでコンピュータのOSのようにやれることは同じだがそれぞれ違う脳で外界の情報を処理している。
言語が違えば100%分かり合えることは無いだろう。
基本的に私の脳モデルは無数の自動人形による条件反射で、私たちの意識は自動人形が行った処理の結果をバーチャルワールドを見せられているだけなのである。

2009年8月13日 (木)

時は金なり

「一寸の光陰軽んずべからず」、「光陰矢の如し」という”ことわざ”、”格言”がありますが正にそのとおりである。
人間は愚かなので先人たちの残したありがたい教えも、その時が来ないと実感できないのである。
人間100歳まで生きたとしても自由に使える時間は大したものではない。
一日のうち三分の一は睡眠しているとして単純計算(3600*24*365*100)*2/3とすれば2102400000秒、21億秒でしかない。
しかし自由な意思を持って活発的に動ける時間は幼少期と老年期を除く数十年の間でしかないのだ。
多くの人間は仕事もしなくてはならないし学校にも通う。まぁよくて10億秒程度だろう。
この貴重で短い10億秒を有効に使うか何となく過ごすかは自分次第である。
人間死ねば無になる。楽になるなんて思うかも知れないが無なのだから楽も無く苦もない。自我も無く意識もない。
1つの世界が消滅し自我を認識することも無く生まれ変わる事もない。
奇跡的にこの世に生を受け自分という意識を持つに至っわけだが、多くの人間は死が恐怖ゆえに死んでも意識は残るだろうと思い描いたところでやはり何も無いのである。
この短い限りある生の中で例え10秒たりとも無駄には出来ないのである。

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